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【サッカー】佐藤寿人選手 インタビュー【前編】
2005年生まれ。埼玉出身。身長:171cm 体重:70kg。
【アスリートナビゲーター・田中大貴プロフィール】
兵庫県出身。1980年生まれ。 兵庫県立小野高校卒、慶應義塾大学環境情報学部卒。
大学時代は体育会野球部に所属し、東京六大学でプレーする。
2003年~フジテレビに入社し、アナウンサーとして勤務。 「EZ!TV」「とくダネ」「すぽると」「HERO’S」、スポーツ中継等を担当。 バンクーバー五輪、リオデジャネイロ五輪現地キャスター。
2018年~独立し、スポーツアンカー、フリーアナウンサーとして活動中。 番組MC、スポーツ実況、執筆連載などメディア出演の他にスポーツチーム・団体・企業とのビジネスコーディネーション、メディア制作、CSR活動イベントの企画・運営も積極的に取り組む。
Jリーグ歴代最多得点ストライカー・佐藤寿人の幼少時代
よろしくお願いします。もう、選手って呼べないんですよね。
そうですね。
現役生活お疲れ様でした。ちょっと時間が経ちましたけれどいかがですか。
ありがとうございます。子どもの頃からサッカーをやってきて、常にサッカーボールを蹴られる場所があったんですけど、昨シーズンで引退したことで気軽にボールを蹴る場所がなくなってしまったので、そういった意味で少し寂しさは感じます。
Jリーガーは何年やられました?
プロとしては21年ですね。
21年。意外と振り返ってみると覚えているものですか?
そうですね。ほとんどのシーンを覚えています。
寿人くんは、高校以降のことやユースの話はこれまでも結構聞かれてきたかなと思いますけど、意外と小中高生や幼少期のことはあまり喋ったことがないんじゃないですか?
そうですね。やはりプロになる、近い時代の頃はよくしゃべりますけど、なかなか掘り下げて昔のことまでというのはそんなに多くないので、どういった幼少期を過ごしてきたかというのをちょっとでもお話できればなと思います。
ぜひよろしくお願いします。ツインズ(※佐藤勇人選手は双子の兄)がサッカーを始めたきっかけは何だったんですか?
父は野球を昔からやっていて、それこそ本当にたぶん社会人ぐらいで遊びの延長線上で野球もやっていたぐらいだったので、たぶん本当は野球をやらせたかったと思うんですけど。
そうなんですか!
双子で野球をやらせようとすると、例えばバットやグローブなんか、道具を色々買わなきゃいけないと思うんですけど、ボール1個与えておけば2人で遊べるというのでサッカーをやらせていたと思うんです。
なるほど。じゃあ、漫画のタッチのほうには行かなかったんですね。
そうですね。気軽に双子で遊べるというのでサッカーボールを両親がプレゼントしてくれて。周りと一緒に、最初は本当に公園で遊びながら、2人でボールを蹴ったというところからスタートしましたね。
チームに入ったのは何歳のときか覚えていますか?
はい。チームに入ったのは小学校1年生の時です。埼玉の春日部の地元のクラブに入りました。
兄弟でポジションは違ったんですか?
最初のほうから僕がやっぱり性格的にも目立ちたいというのがあったので、前のほうで点を取って喜ぶみたいな。兄はどちらかと言うと少し下がり目の位置というか。今はそんなことないんですけど、昔はすごい人見知りで。
そうですか。良い意味で性格違いますよね。サッカーを始めて、夢中になっていくきっかけになったこととか、サッカーを続けていこうと思ったシーンってありますか?
いやもう、やっぱり一番は小学校6年生の頃にJリーグがスタートして、すごくサッカーというのが世間的にも認知されてきましたし、何より93年の5月15日(Jリーグ開幕日)の国立競技場のあの風景というのは、本当に子どもながらに夢を与えてもらったシーンですし、あれを見て自分もJリーガーになりたいと思いましたね。
そうですか。じゃあもう小学校高学年でスイッチが入った感じですか?
そうですね。それまでは漠然とサッカーをやっていたという感じだったので。
小学校のときはどういった生活を送ってました?学校から帰ってきて、すぐサッカーボール蹴りにいってとか。
いやもう遊びもサッカーでしたね。本当に学校から帰ってきたら、すぐ友達と公園に行ってサッカーをして遊んで、その遊びが終わったら練習に行ってという感じだったので。また、友達と遊べないときでも双子の兄と一緒に2人で家の裏のゴミ置き場の前で、ゴミ置き場をゴールに見立ててやっていました。
土日はチームに行って練習して。
はい。平日もチームで結構練習はしていました。
じゃあもう完全にサッカー漬け?
完全にサッカー漬けでしたね。地元の幼稚園が母体のクラブだったんですけど、自前の練習場もありまして、照明もあって普通に夜に9時ぐらいまで練習することができる環境でした。
立派な設備だったんですね。小学校高学年の時から夜の9時ぐらいまで練習をされていたんですか?
そうですね。そういう意味ではすごく良い環境でサッカーと向き合える時間が多かったですね。逆にあまり家にはいなかったです。
なるほど。そこから、埼玉からジェフに行こうと思ったきっかけは何だったんですか?
当時はまだ、中学生でサッカーをやると言ったらほとんどは中学校の部活でやるというのが選択肢だったんですけど、ちょうど93年頃にJリーグがスタートしたというのもあって、父がよりしっかりとした指導を子どもたちに受けさせたいと思ってくれていたんです。
ただ、自宅は埼玉で千葉にあるジェフ市原の練習場が、当時、浦安市にあったので、そこに通うのはちょっと難しいというのもあって、本来であれば12月ぐらいに一般のセレクションみたいなのがあったんですけど、それだと間に合わないということで、父が春ぐらいに一方的に電話して、「ちょっと息子を見てくれないか」みたいな。
息子2人をですか?
そうです。もちろん最初は断られたと思うんですけど、たぶん2~3度しつこく電話を入れたみたいで、それでしつこかったのもあって「じゃあ、ちょっと見てみましょう」という形で本当に運良くそういう機会をつくってくれて。それで自分たちも6年生だけじゃなくて、中学校1年生、2年生も含めて10人ぐらいいて、ちょっと5対5のゲームをやって、それを見てもらえるという機会だったんですけど。そこで僕が運良く合格をいただいたんですが、兄は不合格という、すごい複雑な気持ちで家に帰りました。
お父さんはそのとき兄と弟にどういう風に言っていたんですか?
兄はその当時の埼玉の春日部市の選抜メンバーにも入っていましたし、僕はそこには入れなかったので多分兄のほうが実力的には上かなと思っていたんですね。そしたら弟のほうが受かっちゃったみたいな。兄が逆に落ちたからどうしようという、「どうしよう」という思いでたぶん一緒に家まで帰ったのかなと思いますし。またその12月に一般のセレクションを兄が受けて、さすがにそこでは受かるかなと思ったんですけど、そこでも落ちて。
へえー!
ただもう僕が受かっているので次の進路を決めなきゃいけないというので。当時実家は埼玉の春日部市でラーメン屋を営んでいたんですけど、そこを閉めて千葉に引っ越すという決断をしてくれましたね。
じゃあもうお父さんの相当なサポートがあって、今に至るわけですね!
いや、そうですね。なかなかできない決断ですよね。
自分が親になったらなかなか難しいですね。
いやいや、無理です。
このチャンネルを見てくれている子どもたちもやっぱりサッカーをやっている子が多くて「ユースチームに入りたい。でも入れないかもしれない。中学校の部活に行くのか、そのあと高校選手権を目指すのか」こうした悩みに対してはいろんな考え方があると思うんですけど、アドバイスを送るとしたらどんなことをお伝えしたいですか?
本当にに学ぶ意欲をどれだけ持てるかというところだと思いますし、僕らは幼少期の頃にそういった形でジェフのアカデミーでプロの指導者の方にしっかりと指導を受けて育ててもらえましたけど、別に中学校の部活でも成長できる子はいますし、逆に良い環境に入ってもやっぱり伸び悩んでしまう子もいます。そこは本当に自分がどれだけ学ぶ意欲を持って、いろんなことに対して目を向けて耳を傾けて努力できるかだと思いますし、そういった意味ではやっぱり中学生の年代はまだまだ子どもだと思うので、しっかりとした大人の言葉に対して耳を傾けることができるかというのはすごい大事なんじゃないかなというのは感じますけどね。
大人の言葉に耳を傾けられるか。
はい。
自分だけで考えない。
そうですね。やっぱり、自分がやりたいこともそうですし、自分の考えというのはもちろんあるんですけど、それ以上に親が見たり聞いたり、また指導者の人が考えたりしていることというのは非常にプラスになることが多いので、そういうことに対して、まずはしっかり耳を傾けることができるか。その中で、ここはちょっと違うな、ここはでもそうだなというふうに自分で判断できるようになると、またその考え1つが全く違ったものになると思うので、そういう意味では、やはり大人の意見に真摯に耳を傾けるということは子どもの頃から大事なのかなというのは感じます。
お母さんはどんな方で、どんなふうに支えてくれていました?
母は本当に僕たち息子がサッカーをやれるような環境を常に整えてくれていましたし、サッカーをやるために母もラーメン屋を手伝うということも多くしていたので、常に僕らは鍵っ子で、学校から帰るときには首に鍵をぶら下げて。
無くさないように。
はい。家に帰って、家に帰ったら母が用意してくれていたおやつとかを食べて、遊びに行ったり、練習に行ったり。そういった意味では本当に、父も母も子どものために時間をかけてくれたなというのは感じています。あれやれ、これやれというのは言われたことは正直なくて。試合を見に来た時も、例えば負けたシーンとか、僕がフォワードで点を取れなかったシーンがあっても、そのミスに対して何かを言うということはなかったですね。
じゃあ、もう本当に支える。
そうですね。
導くというより支えてサポートするという。
はい。見守ってくれていましたね。
でも、やっぱりお父さんとお母さんとはご飯を食べているときは、会えるときには結構いろんなコミュニケーションを取ってました?
父も母も常に子どもたちのためにと時間を割いてくれているにもかかわらず、たぶん休みたい思いもあったと思うんですけど、例えば春休みだったらここ、夏休みだったらここという、家族で常にどこかに行くということを休日にしてくれていましたし、スキーとかキャンプとか本当にいろんな経験を子どもの頃にさせてもらえたので、そういった意味でも家族と一緒に過ごす時間も、サッカーの時間もそうですし、サッカー以外の時間も非常に濃くあったなというのは感じますね。
なるほど。寿人くんに事前に頂いたアンケートの中でも、中学校の先生に「選択肢を持てるように」というような言葉がありました。あれはどういった思いですか?
ジェフのアカデミーに入って中学校1年生を迎えるときに、中学校の部活ではなくて、プロの、言ったら育成組織に入っていく生徒に対して現実を与えてくれたなというのはすごいありますし、どちらかと言うと、すごいすごいともてはやされるような立ち位置かもしれないですけど、中学校の担任の先生に一番最初に「(君は)サッカー上手いかもしれないけど、ほかに上手い子なんかたくさんいると思うよ」と言われたんです。
普通、そういうことはあまり言わないかなと思いますよね。
そうですね。一番最初にそれを言われて。でも恐らく、先生もこれまでにいろんな子どもたちを見てきて、今の実力に満足して成長を止めてしまったというのを経験してきているので、そういう風になってほしくないという思いもあったと思うんです。
それに初対面でそういった言葉をかけられて、僕は「えっ」て思うよりも「確かにそうだな」という考えるところもありましたし、この時の事に関しては後で先生が「サッカーだけ頑張っていたら、サッカーがうまくいかなかったときに行きたい道に進めないから、サッカーだけじゃなく学校の授業も勉強もしっかり頑張って、中学校を卒業した時にユースに行けるのであればそのままユースに上がれたらいいし、もしも上がれなかったときに、自分がサッカーの強い高校に行きたいとなったら、サッカーだけではなくて、勉強や授業に向き合っておかないとそういった選択肢は取れないよね」という言葉をかけてもらったんです。「選択肢が数多くある中から選べるのと、もう1つ、2つしかない中から選ばなきゃいけないの、どっちがいい」って言われたときに、本当に子どもの考えですけど、たくさんの中から選べるほうがいいと思うわけじゃないですか。それを聞いて、もう中学校3年間はサッカーだけではなくて、しっかり勉強も授業もしっかりやって、もし本当に先生が言う通りに、サッカーの方でうまく次の進路に進めなかったときは勉強の方で行きたいサッカーの強い進路、自分の進みたい道に進めればという気持ちがあったので、中学校3年間は一番勉強をしていましたね。
でも、これは結構心に響く親御さん、そしてお子さんたちも多いと思うので、ぜひ参考にしていただければと思います。
佐藤選手が子どもころどんな練習をしていたのかというのを教えていただきたいと思います。まず、一番練習した、こんなことをやっていたなとパッと思い浮かぶことはどんなことですか?
当時はやはりなかなかサッカーを気軽に見るという時代ではなかったもので。でも、その中でもやっぱり、例えばカズさんのすごいかっこいいゴールシーンがあったら、それをひたすら練習で真似をするという。そういう練習を一番していました。
真似ですか。
やっぱり真似をよくしていましたね。
じゃあ、キングカズがボレーシュートを打ったらボレーシュートとか。
そうです。ボレーシュートの練習ばっかりしてましたね。
確かに今は簡単に動画をスマートフォンで見られる。でも当時はなかったですもんね。
なかったですね。
真似をする大事さって、どんな部分で重要性を感じますか?
まず真似をする選手と自分との違いや、もちろん技術の差というのは絶対あると思いますし、そういった中でそこに近づけていくための自分なりの考えというのを、パッとそのプレーを見ることで自分なりに変換していかなきゃいけないので、それを少しずつ自分に合わせていくことで自分なりの形に持っていける。この自分なりの形に持っていくまでの作業というのが結果的にその選手の技術を積み上げるひとつのやり方になっていくと思います。当時はそんなことは考えずに、もちろん憧れの選手が見せてくれるようなシーンを自分も出したいという一心でやっていましたけど、やっぱり振り返ってみると真似をすることというのが自分の形を作っていくひとつの術になっているのかなというのは感じますね。
真似て、最後自分なりにカスタマイズするという作業?
そうですね。
プロになってからもそういうのはありました?
ありますね。やはり最後のところ、細かい感覚というのは人それぞれ違うので、例えばカズさんがこの態勢でこういうふうに足を振り抜いてたから自分も同じようにやってみた。でも同じようにはいかないなと思ったときに、じゃあ自分なりにちょっとここを変えることでスムーズにいくなというのは、あくまでも僕の最後の感覚にはなると思いますし。そういうのがひとつのシーンであれば、そういうシーンをたくさん幼少期からつくっていくことで、それはもう自分の、それを練習の中でトライして、1つのかたちにしていく作業を身に付けることはできますし、やっぱり真似事ってすごい大事だなと思いますね。
なるほど。いろんな練習方法が今は特にあると思いますけど、今振り返ってみて、小中学校のときにこういう練習をしておいたからよかった、または、もっとこういう練習をしておけばよかったとかありますか?
よかったなということよりも、もっと練習しておけばよかったなというのは、ボールをしっかり止める技術と蹴る技術、止める蹴るの基礎的な技術というのはやっぱりもっともっとやっておけばよかったなと思いましたね。
止める技術が大事なんですか?
本当にプロの世界とかでも、もちろん止める技術というのは人それぞれ質は違いますし、求めるところも違うんですけど、やはり技術の天井というのはなくて、本当に求めれば、例えばレベルが高くなれば、そういったズレというのが全てのプレーのズレになってしまいますし、そういう部分では本当に幼少期の頃に、やはり単純な、ボールを止めて蹴るという、対面パスとかの一見面白くない練習ですけど、やはりそこをどれだけ突き詰めてやれるかというのは、やっぱりプロで長くやったからこそ、幼少期にもっとやっておけばよかったなというふうに思いました。
止める練習ってやっぱり面白くないんですか?
面白くないですよね。
確かに蹴ってシュートを決めるほうが面白いですよね。
そうですね。やっぱりゴールがあって初めてサッカーじゃないですか。ゴールが無い中での練習というのは、やっぱり本当の意味で目的が分からないというか、子どもの頃になんでこんな練習をするんだろうなと思ってやっていましたけど。でも、それを、なぜこれが必要なのかというのを自分の中でもちょっとでも分かっておけば練習に対するモチベーションというのは違っていたと思うので。やっぱりプロになれば本当にその技術というのがすごい大事なんだなというのは、やっぱり長くやればやるほど感じましたね。
あれだけ点を取れた、取れる、みんな点を取りたいと思ってサッカーをやっていると思うんですよ、小っちゃい頃から。「点を取るために何が必要ですか」と聞かれたら、寿人くんはなんて答えています?
一番はやっぱりシュート技術ですね。当たり前ですけど、狙ったところに蹴れなければゴールを奪うことはできないですし、そこに対するシュートのアイデアとか選択肢をより多く持つということも大事ですし。もちろん相手のマークを外すというところのシュートを打つ以外でのやらなきゃいけないことはたくさんありますけど。ただ最終的にこのボールをいかにゴールに入れるかというところであると、やっぱりシュート技術というのは一番大事ですね。
なるほど。そこにつなげていくために小中学校時代はどういうことをやっておけばいいですか?
やっぱり狙って蹴るという習慣をつけておくことが大事かなと思いますし、正直僕は小学生の頃は、あまりそういう狙って蹴ることとか、地味な練習ってあまり好きじゃなくて、ちゃんと練習できていた子どもではなかったので。どちらかと言うと、ほんとに楽しいことばかりやっているような選手だったので、中学生になってジェフのアカデミーに入ってからコーチに「狙ったところに蹴る」大事さというのを教えてもらいました。それこそすごい小さいゴールをつくってもらって、そこに蹴るという。
難しいですよね。
難しいですけど、やっぱりそれを今まではやってこなかったのを、まずそういう狙って蹴るというのをやり始めると、やっぱりそれが面白くて、またそれがより大きいゴールになると簡単に見えてきますし。
なるほど。
それはもう僕は中学生の頃にそういった形で指導者の方に教えてもらいましたけど、そういう練習をもっともっと小さい頃にしっかりやれていればもう少し技術が高まったのかなと思いますけどね。
でも中学校のときに、その小さいゴールでボールをしっかりコントロールして狙うという技術を確認したから、最終的にJリーグで得点王になれた結果繋がったところはありますか?
そうですね。やっぱりそこでまず僕は指導者の方に気付かせてもらったという、力強いシュートではなくて、しっかり狙って蹴る。その当時、本当に直後ぐらいにリトバルスキーがジェフで引退して、臨時講師というかたちで見に来てくれたときがあって、そこでリティにも同じようなことを言われて、「シュートはゴールへのパスなんだ」と。
ゴールへのパス?
はい。やっぱり、いかに狙ったところに蹴れるかというところをやれないと、やっぱり「なかなか点は取れないぞ」というのを言われて。本当に最初は日本人の指導者の方にそういった言葉をかけてもらって、最終的にリティがそれをだめ押しで言ってくれたので。
再確認になった、正しいんだという。
はい。正しいんだというか。
なるほど。あと、佐藤寿人選手、現役時代はボレーシュート、あとは振り向きざまのシュート、体の強さを使ったヘディングシュートと独特の技術があったと思うんですけど、あのあたりはどういうふうにして習得していきました?
本当に遊びの中というか、練習の中でも、ちょっとこのタイミングでシュートを打ってみたらどうかなとか、やはり守る側の想像を超えていかないと、なかなかそういうシュートシーンだったり、得点シーンというのは生まれてこないので。
守る側の想像、イメージを超えていかなきゃいけない。
そうですね。守る側が今打ってこないだろうなと思うときに打たれたら、やっぱり寄せも甘い分、対応も遅れますし、それこそゴールキーパーなんかは、打ってこないだろうと思うタイミングで打たれたらたぶん反応できないので。今からシュートを打ちますよというふうにこっちが示してしまうと、守る側ももちろん分かってしまうので。
なるほど。
やっぱりいかに守る側の人との駆け引きとかせめぎ合いというのをしながら、それはもう本当に練習の中で、もちろん真剣勝負のときもありますし、ちょっと遊びのようなゲームの中でちょっとトライしてみたりというのはありましたね。
あとはやっぱり自分より上手い選手とか気になる選手たちのプレーというのは、技術というのは、すごく見て学ぼうというのはありました?
もうめちゃくちゃ見ていましたね、特に。
それは現役。
現役のときも。
Jリーガーになってからも?
なってからも。それこそJ1、J2、J3のゴールシーンも全部見ていましたし。もちろん海外も見ますけど、やっぱり気軽に見られるのは日本の試合が多かったので。
「すぽると!」もよく見ていただいてありがとうございます。
よく見ていました、もう本当に。
(笑)
「マンデーフットボール」なんか、ほんとに毎週欠かさず見ていましたし。
(笑)じゃあ、そこから得るものというのは大きかったですか?
大きかったですね。特にフォワードなので、いかに、ゴール前のシーンをより多く見たいですし、90分見ることもあるんですけど、やっぱり戦術的な駆け引き以上に、いかにフォワードとしてゴールを奪うかということを考えると、やっぱりチャンスシーンだったりゴールシーンというのはすごい自分にとっては勉強になるシーンが多いので、そういう意味では本当に常にハイライト、ゴールシーンとかそういうハイライトばかり見ていましたね。
ゴールを決められる人と、決められない人の差って何なんだろうなとすごく思っているんですけど、どうですか?
決められる人は、なぜ決められたか、決めることができたかというのをしっかり説明できると思いますし、決められない選手というのは、なぜ決められなかったかというのをたぶん説明できないと思うので。もちろんフォワードでプレーしている以上、ゴールを奪う経験よりも圧倒的にミスすることのほうが多いので、その1つ1つのミスをいかにゴールに成功につなげていくかというのは、やっぱりしっかり頭で理解できていないと、やっぱり成功につなげることはできないので。そういった意味では感覚でやっているとか、嗅覚とか、そういったものではなくて、しっかり頭で整理して、やっぱりゴールを生みだすことができているかどうかというのが大事かなと思います。
根拠があるかどうか。
そうですね。
なるほど。寿人くんはやっぱり小中高生を、映像で見たりとか、クリニックに行ったりとか、アカデミーに行ったりとか、あとは選手権を見たりとか、ユースを見たりするとき、良いフォワードだなと思う人ってどの辺を見て感じることが多いですか?
まず選択肢がゴールに向いているかという。動きの部分もそうですし、例えば体の向きとか、プレー1つがゴールに直結しているかというのをまず見ているので。いろんな動きとか考えというのは目的ではなくて手段の1つなので、やっぱり目的というのはゴールを奪うことで、その目的をしっかり意識しているかどうかというのはやっぱりよくフォワードを見るとはっきりして見れますけどね。
なるほどね。本当に参考になった方は多いと思います。ぜひ頭の中で整理をして、皆さんも考えていただければと思います。
<インタビュー後編へ続く>