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2021.04.02

【キックボクシング】皇治選手( TEAM ONE所属)インタビュー【前編】

【キックボクシング】皇治選手( TEAM ONE所属)インタビュー【前編】

幼少期の夢は「有名になること」他にも数多の競争相手がいる中、彼は格闘技の世界に身を置き、人並み外れた挑戦を続けてきました。

ISKA世界ライト級王者をはじめ、いくつものタイトルを獲得し、K1やRIZINでは、常に注目される試合を展開。

今や格闘技のトップファイターとして誰もが認める存在になりました。

そんな彼の原点となるジュニアアスリート時代に迫ります。

【皇治選手プロフィール】

1989年生まれ。173cm、60kg。大阪府池田市出身。K-1 WORLD GP第4代スーパー・フェザー級 王座決定トーナメント第3位。ISKA K-1ルール世界ライト級王者。元HEATライト級王者。

小・中学時代には空手で全国1位、日本拳法では全国2位になった経験を持つ。

2016年4月からK-1に参戦し、歯に衣着せぬ発言で注目を集め、スーパー・フェザー級の主要ファイターとなった。

2020年よりRIZINに参戦。

【アスリートナビゲーター・田中大貴プロフィール】

兵庫県出身。1980年生まれ。 兵庫県立小野高校卒、慶應義塾大学環境情報学部卒。

大学時代は体育会野球部に所属し、東京六大学でプレーする。

2003年~フジテレビに入社し、アナウンサーとして勤務。 「EZ!TV」「とくダネ」「すぽると」「HERO’S」、スポーツ中継等を担当。 バンクーバー五輪、リオデジャネイロ五輪現地キャスター。

2018年~独立し、スポーツアンカー、フリーアナウンサーとして活動中。 番組MC、スポーツ実況、執筆連載などメディア出演の他にスポーツチーム・団体・企業とのビジネスコーディネーション、メディア制作、CSR活動イベントの企画・運営も積極的に取り組む。

 

 

幼少期~空手、水泳、サッカー…様々な競技を経験し格闘技の世界へ

元K1で、今はRIZINのリングでカリスマをしています。皇治です。よろしくお願いします。

 

カリスマ!よろしくお願いします。

 

(笑)お願いします。

 

このチャンネルでは子ども時代の話、トップアスリートのジュニア時代の話を聞くんですけど、幼少期の話って結構話をしてきました?

 

軽くはしてきましたね。

 

結構いろんな競技をされてきましたよね。一番最初、今に繋がるきっかけになったのは、何歳の時に何から始めました?

 

一番初めに体を動かしたのはもう殴り合いというか、親父の影響で格闘技ですね。そこから水泳もしましたし、サッカーもしましたし。でも、スポーツはそれぐらいかな。

 

一番最初はお父さんの影響で、空手とかですか?

 

空手ですね。一番最初は。物心ついた時にはもう入れられていたので、3歳ぐらいにはもうよちよちしながらやっていましたね。

 

3歳ですか!皇治選手のお父さんが空手の師範か何かだったんですか?

 

日本拳法の師範をやっていたんですよ。親父はプライドが高いんで、おまえが日本拳法をするのはまだ早いと。偏見ですけど、空手で結果を出してから日本拳法に来いと言われて、自分も何も分からないうちにドラゴンボールの孫悟空の胴着を着ながら空手をやっていたんです。

 

あのオレンジ色の悟空って後ろに書かれた?

 

そうですそうです、道着のサイズがなかったので。

 

(笑)当時は空手だと分かって行ってたんですか?

 

いや、分かっていたんですかね。でもドラゴンボールはずっとアニメで見ていて。孫悟空がむっちゃ好きで、真似していましたね。

 

孫悟空の何が好きだったんですか?

 

昔からこう、一回負けるじゃないですか。アンパンマンも好きやったんですけど、一回負けても次勝ったり何回も復活するっていうのが好きで、憧れてましたね。アンパンマンは小学校の高学年まで見ていたような気がします。

 

空手を始めて一番最初に大会に出たのは何歳くらいの時ですか?

 

幼稚園ぐらいですかね。5歳、6歳。

 

その時の成績はどうだったんですか?

 

強かったんですよ。体が圧倒的にデカくて、自分。幼稚園小学校の時はちょっと覚えていないんですけど、中学校1年に入った時にもう165cmぐらいあって。

 

デカいですね。

 

身長大きかったんですよ、ずっと。周りに比べて頭1個ぐらいデカかったんで、強かったです、本当。

 

空手である程度結果が出て、次に?

 

空手はね、全国大会で優勝して親父との約束を守ったんで、日本拳法に行かせろというか、来いって勝手になったんですかね。日本拳法に行って、中学2年生か3年生の時に全国2位になったんですね。日本拳法のルールでは高校生から面ありで顔殴っていいんですけど、中学生のルールは寸止めなんですよ。決勝戦で相手が鼻血出しまくって泣きまくっていて、自分の反則負けになったんですよ。

 

それは当たってしまって。

 

はい。当時はこんなの格闘技じゃないと思ってしまって、俺はほんまの格闘技に行くとか言って、ボクシングとかキックボクシング、今の世界に入りましたね。

 

同時に水泳とかサッカーをやられていたんですか?

 

水泳もね、上手かったんですよ。選手コースに行っていたので。スクールはめちゃめちゃ嫌いでしたけど。

 

水泳をやっていたことって、今に活きてますか?

 

活きているんやと思います。でも、だって魔裟斗さんとかもみんなそうですもんね。やっぱり心肺系の持久力がつくんですかね。タフになるんやと思います。

 

 

時間の使い方はどうやってやっていたんですか?学校は平日お昼過ぎまで、夕方前まで行って、そのあと?

 

自分は遊ぶことは一切できなかったですね。習い事ばっかり行っていて。小学校の時、セレッソユースでやっていたので。学校終わったら、そのままリュック背負って電車に乗って行っていたんですよ。帰ってくるのとか9時とか10時だったんで、親とかとご飯もあんまり食べたことないですし。おふくろとかとあんまり飯食ってなかったんで、今思えばストイックでしたね。

 

お母さんもかなりサポートしていたっていうか、もうアスリートになりなさいという感じだったんですか?

 

そうですね。おふくろは自分の夢を応援ずっとしてくれていましたね。親父にはもうボコボコにされてましたけど(笑)背中でいろんな姿を見せてくれましたね。

 

お母さんのサポートは今のマインドに生きていますか?

 

めっちゃ活きてます!だって俺、強くなろうと思った理由が、親父がおふくろを殴ってるところを見て守れなかったから、もうちょっと女を守れるように頑張らないとと思ったのがほんまに強くなろうと思ったきっかけなんです。それまでは無理やりやらされていたんですけど、そこからマジで強くならないとと思って。

 

じゃあ、お母さんを守るために強くなろうと思ったのが最大の理由だったんですか?

 

そうです。今はもう絶対親父は手を出さないですけどね。そういうのも見ていて、自分は女には絶対手出さへんって決めて育ったんです。

 

サッカー・水泳・空手もやって、次に日本拳法をやりといろんなことを同時進行でやったじゃないですか。相当体はつらかったと思うんですけど、成長は感じていました?

 

そうですね。他の同級生の子たちと苦しみが違うってずっと自分は思ってて。うちは習い事も厳しいですし、例えば運動会の徒競走で2位とか3位でもみんな喜ぶじゃないですか。1位じゃないとぶん殴られていましたからね。とにかく厳しかったです。

 

お父さんは、皇治選手を最初にどういうふうに育てたいと思っていたんだと思いますか?

 

言ったことをやれ、それだけですね。もう言ったことをやれ、もうずっと。学校行きたいんやなって言われて、覚えているんですけど、幼稚園ぐらいの時。学校行きたいんやなと、行きたいと、なら、俺、もうあれですよ、幼稚園から中3まで休んだことがないんですよ。遅刻だらけですけど。でも、欠席0で。それは自分で学校へ行くって言ったから、どんな時も行けと。それがおまえの仕事やと。だからどれだけ遊んでいても絶対学校は行きましたね。

 

つらかったですね。

 

つらかったですね。めっちゃ厳しかったですよ。だから、俺もう15歳で家を出て、ずっと今も一人暮らしですけど、そういうあれですね。

 

じゃあ、そこからもうアスリートに向けては一人で生活しながら進んできたということですか?

 

親父、おふくろにもちろんサポートしてもらいましたけど、家にはいてなかったです。もうずっと出て、一丁前に飯食えるまで俺はもう家に帰ってけえへん言うて。

 

立派になるまでは家に戻らないと。

 

そうですね、チャンピオンになるまでは帰ってけえへん言うて。自分は何かしらISKAとか世界タイトルとかも獲ったんですよ。何回か帰ろうとしたことがあったんですけどね、家が恋しくて。でも、もう部屋もなくて、帰れなかったですね。

 

今はご両親にはどんな風に言われるんですか?

 

いやー喜んでくれていますね。まさかこうなるとはっていう感じで。お金が全てじゃないですけど、親父に車を買ったりとかできるようになったんで、すごい喜んでくれてます。

 

今振り返ってみて、トップアスリートになるためにはジュニア時代にどういうことを考えながらとか、どういうプロセスを進んでいくともっと良くなるといったアドバイスはありますか?

 

俺ね、トップアスリートというか、自分が決めた道で飯食っていくには、逆に言うと誰でもなれると思うんですよ。

 

そうですか?

 

その代わり誰よりも考えることかなと思いますね。

 

考える、思考力ですか?

 

はい。もう、自分はめちゃくちゃ妄想していたんです。ちっちゃい時から有名になったらこういう発言をするとか、こういう舞台ではこういう態度を取るとか、全部決めていました。妄想していましたね。アニメの台詞とか著名人が言っていることとか、ほんまにメモしたりしていましたよ。「大きくなったら俺流にこうやって言おう」とか、そういうマインドで生きていたので自ずとそういう考え方になっていって。だから、ビックリすることがないです。どういう大舞台に立っても、ヤバい、俺こんなとこにいてるとか、緊張するとか思ったことはなくて。

 

もう全部準備してきたから。

 

うん。何やったらもっと若い時にこうなりたかったんで、遅いぐらいで。だから、他の選手よりも才能とか何も勝ってることがなくても、誰よりも考えたんです。今もですけどね。

 

常に自分はどうなるべきかっていうことを考えて、妄想しているという。

 

そうですね。どうやったらファンが喜ぶかとかもそうですし。

 

水泳もやりながら、サッカーもやりながら、空手などもやりながらと、時間も大変だし夜も遅いし常に早く起きなきゃいけないしで、辛いじゃないですか。そういう時って何をモチベーションにしていましたか?

 

こんなの言っていいのか分からないですけど、いらんことはしなかったですね。例えば、勉強とか一切せんかったです。俺はこの道で飯食うって決めているから。例えばですけどね、他のスポーツをすることも大切ですけど、野球選手になるって決めているのにずっとサッカーしていても野球選手にはなれないじゃないですか。それと一緒で、俺の中ではもう勉強は意味がないと思ったので、捨てることも勇気なので。だから、みんなが勉強している間に俺は殴り合ったり、サッカーが好きやったんでサッカー選手にもなろうと思ったんで球蹴ってましたね。

 

じゃあ、基本的にはもう学校が終わったら全部トップアスリートになるための練習?

 

そうですね。だから、修学旅行も行っていないです。

サッカーをやめた理由っていうのが、中学生の時、修学旅行の次の日がサッカーの全国大会だったんです。俺はその大事な試合に勝たれへん、修学旅行は行かんと一人で自主練しよったんです。で、楽しい思いをしたやつが帰ってくるじゃないですか。自分と合流して試合して、自分が3点入れたんですよ。でも、相手に4点入れられて負けたんですよ。いつもはあと1点俺が入れられたらなとか、かっこつけて言っていたんですけど、その時に初めてこのクソたちが下手クソやからって人のせいにしたんですよ。じゃあ、もう人のせいにしているようじゃチームプレーは無理やなと。ならもう一人の世界に行ったるわみたいな感じで。それはもう自分の間違いやったって今は気付いていますけどね。

 

なるほど。じゃあ、誰にも頼らないというか迷惑をかけないというか。

 

そうですね。そういう美学みたいなのが自分の中ではありました。ストイックやったですね。

 

もう100%自分の力で勝てる競技に行こうという。

 

行こうと思って行ったんですけど、結果的には格闘技もいろんな人に支えられていて、一人じゃないっていうこと気付いたんですけどね。でも、分かりやすく、勝っても自分の力、負けても自分のせいと思えるところに行こうと思って、個人競技に行きました。

 

チャンピオンになりました。こういう結果が出ましたと振り返るじゃないですか。こういうことをやってきたからここに繋がったんだなっていう答え合わせはしたりしますか?

 

やっぱり、あきらめないっていうか、根性は誰にも負けないんで。今ここに座っているっていうのは根性だけで来ましたからね。だってもう挫折だらけですから。

 

 

 

皇治選手がジュニア時代に実践していたトレーニング

 

実際にいろんな競技をやっていて、どんなトレーニングをやっていたか教えていただけますか?

 

これはもう鉄板で相撲ですね。俺、子供の頃親父が家に帰ってくるのが嫌で嫌で、日曜日とか親父がおったらもう最悪で。それはなんでかって言ったら、普通やったらキャッチボールとかじゃないですか。サッカーとか楽しいと思うんですけど。

公園に連れていかれて、自分は幼稚園ぐらいとか1年生とかじゃないですか。で、親父が高学年の子を連れてくるんですよ。その辺で遊んでいるね、大きい子。相撲をとれと。もう、そりゃあもう、自分は言っても幼稚園、1年生で負けるじゃないですか。ぼんぼん投げられて、もう親父に怒られ倒して泣いて泣いて、泣きじゃくっても向かっていくから、もうその高学年の子もなんのこっちゃ分からへんから負けてくれるじゃないですか。それで親父に褒められる。その時に勝った時の快感を覚えましたね。相撲はずっとやらされてました。

 

相撲は精神的な部分で勝った成功体験を学ぶのと同時に、足腰も鍛えられたってことですか?

 

鍛えられました。だからね今もよく言われるんですよ。遊びでMMAとか、キックボクシングでも首相撲をやるんですけど、すごい腰が強いって言われるんですよ。試合でもひっくり返ることとかあんまりなくて。やっぱり足腰は強いってよく言われます。

 

それはやっぱりルーツは相撲からですか?

 

相撲からです。ひたすらやってましたね。やっぱり相撲って何の競技にも通じると思います。

 

下半身を鍛えるという部分、体幹とかですか?

 

やりました。だから、俺は結構相撲強いと思います。今のトレーニングでも結構やってます。

 

それはやはり全身のバランスとか筋肉を鍛えられる感じなんですか?

 

シンプルにきついですね。心拍も結構きついです。

 

幼稚園、小学校、中学校と空手をやっていた時に、空手が強くなるためにどんなトレーニングをよくやっていたか覚えていますか?

 

空手している時…、自分は、でも実践が多かったですよ、やっぱり。親父が駐車場にリングを作ってくれたので、そこでずっと友達とか呼んでボコボコにしていましたね。でも、一番したのは、電信柱とか蹴ってましたね(笑)

 

あのコンクリートでできている電信柱?

 

はい。サンドバッグに見立ててやっていましたね。ほんで、壁とかも殴って、ここに傷がいくのがかっこいいとすごい自分の中で思っていて(笑)

でも、やっぱり何より一番大切なのは走ること。何の世界でもやっぱり瞬発が大切なので、走ることは大事だと思います。

 

走ることって打撃にどう繋がってくるんですかね、筋力的に。

 

1歩1歩の踏み込む力が、パンチ力と一緒なので、たぶん今格闘技界でパンチ力ある選手はみんな足速いと思いますよ。踏み込みは大事ですね。

今も、ずっとタフ、タフと言われていて、打たれ強さで勝負してきたんですけども、それにもちょっと限界を感じてきたので、ちょっと攻撃力も上げないとと思う部分もあって、今は結構そのトレーニングを入れています。

 

ランニングトレーニングですか?

 

はい。短距離ばっかりです。10メートルとか。

 

じゃあ、やっぱりそれが打撃に繋がるわけですか。

 

大事だと思います。自分、本当に中学からK1に出るまでの間は結構KOが多かったんですよ。当時はK1で「KOエンペラー」と呼ばれてて。K1に出るまでもね、3~4連続ぐらいKOして上がったんですけど、振り返ってみるとその時にめちゃくちゃ短距離してたんですよね。絶対負けへん自信があるぐらいしてたんですよ。でもK1に上がってから一切せんようになったんですよ。

 

そしたらやっぱり自ずと今はもう中々倒せてないんで、やっぱり短距離トレーニングは必要なんやろうなっていうのはすごい思います。

 

体幹や腕力とか、上半身をどう鍛えられていますか?

 

自分はストイックな筋トレ、ベンチとか上げたことはないしウエイトトレーニングはしてなかったですね。別にそんな力負けしたことないですし。でも、パンチ力を鍛えるとかいうにはありなのかなと思って最近やりだしたんですけど。でもやっぱり遅くなりますよね、スピードが。

 

重くなるんですか?

 

はい。だから競技によると思いますけど、実践が一番大事やと思いますね。

 

じゃあ、できるだけ多く道場へ行ってできるだけリングに立って。

 

はい。あと、強い人とやることですよね。

 

もう、自分が負けるかもしれなくてもやる?

 

いやもう、負ける相手とやるべきですよね。自分なんて、スパーリングとかすごい強豪な人とばっかりやりますよ、やっぱり、体重も上の人とばっかり。やっぱり自分と同じ体重の子とやったら全然軽くも思いますし。小学生の子もね、上の学年の子とやっておくと、自分と一緒の学年の子とやった時全然楽勝になると思うので、それは大事やと思います。

 

じゃあもう極論、幼稚園の時に中学生とやるとか、小学校の時に高校生とやるぐらいの。

 

勢いでいかな駄目ですよね。僕はボッコボコにされながらやってましたよね。強くなるために。

 

日本拳法と空手って、またちょっと違うんですか?

 

全然違いますね。空手は基本的に防具を付けないです。頭にだけヘッドギアを被ってやります。日本拳法は剣道みたいな面を付けてやるんですけど、倒して殴ってもいいんですよ。防具は付けますけど、こかして攻撃していいんで、どっちかと言うと、総合格闘技というかMMAですよね。

 

切り換えるのが難しくなかったですか?日本拳法のテクニックもまた必要になってくるじゃないですか。

 

そうですね。距離も全然違うので。まずは勉強しましたけど、でもやっぱり基本は殴り合いなので喧嘩ですよね。と思って今もやっていますけど。

 

喧嘩と考えると逆に難しくなる気がするんですけど、そんなことはないですか?

 

いや、格闘技は簡単ですよ。殴ればいいだけですからね。殴られたら耐えたらいいだけの話なので。もちろん考えることも大事ですけど、他の野球とかに比べたらすごいシンプルで分かりやすいかなとは思いますね。

 

 

水泳をやられていると、背筋とか体の裏側の筋肉もかなり強くなると思うんですけど、その辺は格闘技に活きていますか?

 

格闘技はほんまにタフじゃないとできないですよね。一番タフさが必要なスポーツやと思うんですけど。俺はちっちゃい時に水泳とかいろんな競技をして、いろんな体の部分を動かしてたから、ケガしないですよ。骨折とかもないですし、じん帯断裂とかもないですし。

 

子どもの頃に相当いろんなことをやっていて良かったという。

 

小さい時にいろんなことをやるのってすごい大切らしいですよ。1つの競技ばっかりやっとらんと、いろんなことをやるのがいいと思います。自分は本当はサッカーが好きやったんでね、小学校の日記にプロサッカー選手になるかK1ファイターになるって書いてたんで、サッカー選手のほうが好きやったんですけど。でもそういういろんな競技をやることによって選択肢が広がって、今こうしていられるので、色々やってみるべきやと思います。

 

逆にケガしなくなるんですね。

 

しなくなると思いますよ本当に。大貴さんもそうやと思いますけど、多分今サッカーとかしたらめっちゃヤバくないですか、筋肉痛とか。

 

いや、ひどいですよ!

 

そうでしょう?自分もね、たまにフットサルとかするんですけど、もう筋肉痛半端ないんですよ。それはたぶん使う筋肉が全然違うからじゃないですか。ということは、ちっちゃい時にいろんな競技をしたら、いろんな筋肉を使うからすごくいいんやと思います。

 

いろんな筋肉に刺激を与えてきたからバランスも良くなって、ケガをしなくなる。野球以外の動きをやったら、ものすごい筋肉痛がきますもんね。

 

そうですよね。だから自分も今はもう格闘技しかやっていないけど、いろんな競技をするのは今になっても大事やなと思いますから、子どもの時はより大事なんやろうなと。

 

ケガをしないためにいろんな競技をやりなさいと。結構新しいヒントというか、ひらめきですね。最後に皇治選手がジュニアアスリートたちに、今どういうことをしておいたらトップアスリートになれますかと聞かれたら、どんなアドバイスをしますか?

 

いやもう、泣くことですよ。もう悔しくて、馬鹿にされることですよ。自分なんか馬鹿にされてされて育ってきたんで。それをすべて見返してやろうと思うことが何よりの原動力ですよ。

 

なるほど。反骨心。

 

反骨心がない人は上がれない、ということは反骨心がデカければデカいほど上がれるんで、もう馬鹿にされようがされるほど、悔しいと思うことが大事ですよ。

それと周りの意見とかに耳を傾けるなですよね。自分がこうと決めたことに対しての応援はすごい耳を傾けていいですけど、それ以外の批判は全部反骨心にしたらグイグイいきますよね。ほんまにジュニアの子らに言いたいのは、俺でこうなれているんやから、みんななれるんやから、反骨心を燃やしてくれと。

 

なるほど。勇気ある言葉をありがとうございます。

 

<インタビュー後編へ続く>

 

 

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