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2021.01.15

【陸上】飯塚翔太選手(リオ五輪陸上男子4×100mリレー銀メダリスト・ミズノ所属)インタビュー【前編】

【陸上】飯塚翔太選手(リオ五輪陸上男子4×100mリレー銀メダリスト・ミズノ所属)インタビュー【前編】

2016年8月19日、その日、日本陸上競技会、スポーツ界は歴史的な瞬間を迎えました。

リオオリンピック男子400mリレー決勝。オリンピックのトラック種目で、日本男子初となる銀メダルを獲得します。

歴史に名を残した4人のスプリンター。今日はそのチームをキャプテンとして牽引した、彼のジュニアアスリート時代に迫ります。

 
【飯塚翔太選手プロフィール】
1991年生まれ。中学生の時に、ジュニアオリンピックで優勝するなど早くから陸上選手として注目を集める。
2010年の世界ジュニア陸上競技選手権大会では200m走で優勝し、男子日本選手による同大会では初優勝の快挙を遂げる。
2011年には平成22年度JOCスポーツ賞の新人賞を受賞。
2016年のリオデジャネイロオリンピック・男子4×100mリレーでは日本チームの第二走者を務め、アジア記録の更新となる37秒60のタイムを記録し、銀メダルを獲得した。
 
【アスリートナビゲーター・田中大貴プロフィール】
兵庫県出身。1980年生まれ。 兵庫県立小野高校卒、慶應義塾大学環境情報学部卒。
大学時代は体育会野球部に所属し、東京六大学でプレーする。
2003年~フジテレビに入社し、アナウンサーとして勤務。 「EZ!TV」「とくダネ」「すぽると」「HERO’S」、スポーツ中継等を担当。 バンクーバー五輪、リオデジャネイロ五輪現地キャスター。
2018年~独立し、スポーツアンカー、フリーアナウンサーとして活動中。 番組MC、スポーツ実況、執筆連載などメディア出演の他にスポーツチーム・団体・企業とのビジネスコーディネーション、メディア制作、CSR活動イベントの企画・運営も積極的に取り組む。
 

 

幼少時代について

本日はよろしくおねがいします。子どもの頃の話というのは普段あまり聞かれることが少ないと思うんですが、思い出してお話いただければと思います。飯塚選手は子供の頃どんな子でしたか?

 

出身が静岡の田舎なんですが、ひたすら外で遊んでいる子どもでした。走り回ったり木に登ったり、、、ご飯の時間までずっと遊んでいてお母さんに怒られるような子どもでしたね。

 

一番最初は陸上クラブに入って、というわけではなかったんですね。

 

そうですね。遊びの中で身体を動かしたりしていました。

 

どんな遊びをされていましたか?

 

これが不思議なんですが、リレーをしていたんですよ。近所に同じ世代の子どもがいっぱいいまして。僕は4人兄弟なんですが上の姉と下の弟と3人で棒をバトン代わりにしたりして、よく遊んでいました。あとは秘密基地を作ったり、ドブの上をジャンプしたりとか…育った場所は田舎で自然が多かったので、次はどこで遊ぼうかなと遊び場所を探して回る毎日でした。

 

気がついたら走ることが好きになっていたんですか?

 

そうですね。もともと走ることは得意だったんですよ。身体も大きくて身長はクラスでも一番うしろの方だったし、小学校の時は4年生から1年で10cmずつ伸びていました。中1で180cmくらいありました。成長期が早かったんですね。身長が大きいとやっぱりスピードが出て速いんですよ。

 

身体が大きいと動かすのが大変じゃないですか?

 

そうですね。怪我とか成長痛とかとは常に付き合いながらで大変でした。

 

陸上をやり始めたきっかけ

陸上をやり始めたのはいつからだったんですか?

 

小学3年生からですね。それまでは水泳をやったんですけど、親に勧められてやったんですが練習に行くのが嫌で…車で送ってもらう途中でお腹がいたくなったり、更衣室で泣いたりとかそういうのが続いて。その後に陸上に出会ったんです。

 

水泳と陸上は並行してやっていたんですか?

 

水泳は完全にやめてから陸上に行ってましたね。

 

何故陸上をやりたくなったんですか?

 

ちょうどその頃に学校のお便りで、陸上の競技会の申込書が配られたんです。小さい試合だったんですけど、自信があったので出場したら優勝をして。クラブチームの監督に勧誘いただいて、練習に行ったのがきっかけです。

 

ご両親や兄弟の影響ではなかったんですね。

 

最初は断る前提で、一回だけ練習に参加して断ろうという体で行ったんですが、実際に練習してみたら楽しくて。自分より速い選手っていないと思っていたんですけど、それがいたりして。それでのめり込んで行きました。

 

ご両親の反応はどうでしたか?

 

最初は一緒に断ろうという体だったんですが「最後は自分で決めなさい」と言ってくれました。

 

陸上を始められたのは自信があったからですか?それとも楽しかったからですか?

 

楽しかったからですね。水泳の練習は全然楽しくなかったんですけど、陸上の練習はすごく楽しくて。楽しい練習が魅力的に感じたのでやりたいと思いました。

 

 

小学校の時の50m走のタイムはどれくらいでしたか?

 

どれくらいだろう?多分7秒ちょっとくらいだったと思います。

 

陸上大会に出るようになった時に、練習する環境はあったんですか?

 

クラブチームが地元にたくさんあったんです。陸上競技場も400mトラックがあるような所でした。当時僕が入ったクラブチームには100人くらい小学生がいたんです。大きなクラブチームが地元に3つあったり、地域的にも陸上競技が盛んだったと思います。

 

その後中学高校を選ぶにあたっても、陸上を続けたいという気持ちはあったと思うんですが、中学はどのように選びましたか?

 

中学は自分の家の近くの公立に行きました。県内に自分より速い選手がいて、その選手に勝ちたいっていう気持ちが強かったので中学に上がっても陸上は続けようと思っていました。中学では陸上のクラブチームに入りながら学校の部活も一緒に続けていました。

 

小中高での主な大会の成績を教えてもらえますか?

 

中1の時にジュニアオリンピックっていう全国大会で100m走で優勝をしました。中3ではジュニアオリンピックの200m走で優勝しました。主にはその2つですね。

 

小学校の時そんな記録を残せるようになると思っていましたか?

 

全然思っていなかったんですけど、小学校の時の将来の夢に「オリンピック選手になる」って書いていたんですよ。出られるとは思っていませんでしたが、当時の願望を書いたんです。

 

結果的には夢がかなったわけですね。学生の時にあこがれの選手はいましたか?

 

ウサイン・ボルト選手ですね。実際に大学3年生の時に、ロンドンオリンピックで一緒に走ることができました。とにかく身体が大きい。そして速い。お客さんからの人気がすごいしお客さんを楽しませようとするパフォーマンスもすごく上手で。そういうところに今も憧れています。

 

オリンピックの花形は陸上競技の100m走というイメージがあるんですが、ご自身で100m走をやられていてそういう実感はありますか?

 

ありますね。スタート位置に付いた瞬間の静かさと、「ドン」の瞬間の”ウワッ”ていう、あの盛り上がり方のギャップは、100m走が一番大きい。

 

高校の選び方はどのような基準でされましたか?

 

高校も部活を頑張りたいっていうので。コーチが誰かというよりも、誰と一緒にやるかということを重要視していました。目標が高い人とやりたかったので、志の高い人と一緒に陸上ができる高校を選びました。大学でも陸上をやることは決めてました。

 

中央大学を選んだ理由はなんですか?

 

だいたい高校と同じですが、勉強や就職もある程度ちゃんとできること、強い選手がいることを基準に選びました。ただ中央大学って総合大学だったので体育大学ではなくて、勉強と部活でガラッと雰囲気がかわるというか。それでモチベーションが保てたというのはありますね。勉強をしている自分と部活をしている自分、オンとオフの2つの自分があったのが今考えるととてもよかったです。

これから陸上を続けたい人が今後進学先を選ぶときには、そういうオンとオフを使い分けられるところに行くのもありだと思います。そうすれば気持ちの面でモチベーションも高くなるし、運動をしない全然自分とタイプの違う人と喋ったり、そういう生活をするのはすごく良かったと思います。

 

大学で陸上だけやっていたら今の自分は無かった?

 

なかったですね。銀メダルを獲ることもなかったと思います。

 

 

家庭の教育方針

お父さんとお母さんはどんな教育方針でしたか?

 

自分で何かを決める時は、最後は自分で決断しろとは言われていました。それと家庭のルールが結構厳しかったですね。主に父親が厳しかったんですけど、例えば朝はご飯食べないと学校言っちゃいけないんですよ。食べ終わらなくて何回か遅刻したこともありますし、遅刻してでも残さず朝食は食べるというのが鉄則でした。あとはジュースがだめでお菓子も一回も食べてないんです。

 

お菓子を小中学校で一回も食べなかったんですか!お父さんに隠れて食べる事もなかったんですか?

 

一回もないんです。すごく父親が怖かったので、どこかで見ているんじゃないかという気持ちがあって一度も食べられませんでした。父が厳しかったのは、子どものために大きくなってほしいというのがあったんだと思います。身体を作るためには朝ごはんを食べるのは必須という家庭でした。

 

お父さんは身体を作ることや食べることに関してかなり意識してらっしゃったんですね。

 

当時は何でだよ!って想いでしたけど、今考えるとそうだったと思います。食事に関してうるさく言われていたのは小学校の時ですね。中高に上がる頃には、言われなくても食べるようになっていました。

 

お菓子とジュースの禁止はつらくありませんでしたか?

 

お菓子とジュースが一切禁止されているのはつらかったですね。ただそれ以上に怒られるのが怖かったです。お菓子が食べられなかった分ご飯をたくさん食べていたので、それで小学校の時に身体が大きくなったのかなとは思います。

 

大人になって栄養学も学んで、振り返ってみると、小学校の頃の食生活は今に活きていると思いますか?

 

間違いなく活きていると思います。これに関しては父親のおかげで、今の僕の食生活の感覚は子供の頃の環境がとても影響していると思います。バランス良く食べるとか、そういった習慣づけが小学校の頃に出来ていたのはとても大事なことだったと思います。

 

身体のサイズを大きくするには、子どもの頃にどんな食生活をした方がいいでしょうか?

 

朝ごはんをしっかり食べましょう、3食いっぱい食べましょう、バランス良くいろんなものを食べましょう、ということですね。あとはジュース、お菓子は極力控える。しっかりご飯を食べていないと身長も伸びないです。食べすぎが心配だという声も聞きますが、普通に運動しているお子さんだったら、子どもの運動量から考えれば少し食べて体重が増えても大丈夫だと思います。

 

小学校の頃にご飯何杯とか、どれくらい食べていたか覚えていますか?

 

給食で普通にご飯が盛られるじゃないですか。いただきますの挨拶と同時に配膳しているところに行って、全種類を大盛りにしていました(笑)。毎日2人分位食べていましたね。運動もしていたので太ることもなかったです。

 

 

ご家族について

ご姉弟は皆さん体格は大きいですか?

 

1個下の弟は180cm代後半で僕と同じくらいの体格ですが、一番下の年が離れた弟は175cmでちょっと小柄なんです。この理由は思い当たることがあって、下の弟の時には朝ごはんを必ず食べたり、お菓子禁止といったルールが無かったんです。それが身長の伸び方にも影響しているんじゃないかと本人も言っていました。それくらい小学校の時期に食べる食事の量は大事なんだなと実感を持ちましたね。

 

お母さんはどんな方でしたか?

 

お母さんは優しくて父親とは反対でした。父親に怒られて母親のところに逃げるみたいな感じでしたね。陸上をしっかりしなさいとか勉強しなさいとか、そういったことは一切言わず自分を支えてくれた存在でした。父親と母親が両方とも怖かったら、多分陸上を続けていられなかったと思います。

 

今のお父さんとの関係はどうですか?

 

もともと仲はよかったので、試合の結果を話したりしています。試合にも毎回来てくれています。

 

今お父さんにアドバイスをされて、確かにそうだなと納得することはありますか?

 

ありますね。昔から試合を見てたまにアドバイスをくれていました。小学校の時は僕が出場した全部の試合をビデオに撮っていてくれていたんです。タイムも計算してくれたり、他の強い選手の映像を撮って僕に見せてくれたり、来年の目標設定をグラフに書いてくれたり。データ収集がすごかったです。父は陸上経験はなく柔道と体操をしていましたが、そういう情報を分析することが好きだったんでしょうね。

 

明確な目標設定はお父さんによって数値化されていたんですね!

 

今も自分の走っている動画をすごくよく見るんですけど、小学生の時に見れたのが成長するきっかけになったので。僕だけじゃなくてライバルの動画も撮ってくれてみていたので、速い人の腕の振り方とか成功している人と自分を照らし合わせて何が足りないのか考えて、アレンジを加えたりしていました。

 

お父さんの言葉

小中高の時期にご両親に言われた言葉で心に残っていることはありますか?

 

一番残っているのは中3の全日本中学選手権の時で、坐骨神経痛で棄権してしまったんです。当時棄権するかどうかを悩んでいる時に、父が「中学校で陸上を諦めるんだったら走ってもいい。高校でも続けたいんだったら諦めて次活躍できるよう頑張ろう」と言ってくれたんです。中学最後の試合だし、当然出たいわけじゃないですか。その時は目の前の試合しか見えない状態になっていたところに父親がかけてくれた言葉が腑に落ちて、我慢して泣きながらスタンドで準決勝を見ていました。あそこで父が止めてくれたから、今の人生につながっている部分はすごくありますね。

 

お父さんの影響は今でもありますか?

 

マインドの面では父親の影響が多いですね。強気で緻密に目標や計画を立てて、それに向かって前向きに進んでいくところとか。

 

自分が父親になったら、そういうやり方やシステムを子どもにも受け入れて欲しいと思いますか?

 

僕は子どもに対しては自然に学んでいってほしいと思うので、言って教えるよりも、環境を提供してそこで学んでもらいたい。学べる場所をこっそり提供してあげたいですね。

 

コーチとの出会い

飯塚選手はこれまで素晴らしいコーチたちと進んで来られたと思いますが、コーチとの出会いというのは陸上をやっていく上で大きかったですか?

 

大きかったですね。小学校の時も高校の時もそうでしたが、コーチとの出会いが競技をしていく上で一番重要でした。

 

飯塚選手にとって、良いコーチとはどんな人ですか?

 

教える相手に対して、相手の特徴を見て自分の持つ知識を提供できる人です。自分の理想に相手を近づけるのではなく、相手の特性を見ながらそれにあった指導を出来るのが良いコーチだと思います。自分と向き合ってくれるということは子どもにとっても嬉しいですし、モチベーションにもつながるんです。

 

インタビュー後編へ続く

 

 

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