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2021.03.19

【フェンシング】三宅諒選手(ロンドンオリンピック 男子フェンシング団体銀メダリスト)インタビュー【前編】

【フェンシング】三宅諒選手(ロンドンオリンピック 男子フェンシング団体銀メダリスト)インタビュー【前編】

幼少期よりフェンシングに出会い、彼はすぐにその才能を開花させました。

小学校6年生で全国大会優勝、さらに大学時代には世界ジュニア・カデ選手権で優勝し、日本初の世界選手権制覇という偉業を成し遂げます。

その後もロンドンオリンピックで銀メダル、世界選手権で銅メダルと、今や世界のフェンシングを背負って立つ存在になりました。

今日はそんな彼のジュニア時代に迫っていきます。

 
【三宅諒選手プロフィール】

1990年生まれ。178cm、72kg。千葉県市川市出身。ロンドンオリンピック男子団体銀メダリスト、2014年アジア大会男子団体金メダリスト。

保育園の時にフェンシングを始め、競技経験のない父が独自に研究した指導法により指導を受け、小学校6年の時には全国大会で優勝するまで上達する。

2007年、慶應義塾高等学校在学中に17歳以下の世界ジュニア・カデ選手権のフルーレ個人で優勝。2012年、アジア選手権大会で3位入賞。

2012年ロンドンオリンピックではフルーレ個人、団体の日本代表に選ばれ、個人では初戦敗退したが、団体で準優勝し、銀メダルを獲得。

2013年、アジア選手権大会で個人、団体共に準優勝し、全日本大会でも準優勝。

2014年、アジア大会の団体戦において五連覇を狙う中国を接戦で下し金メダルを獲得。

 

【アスリートナビゲーター・田中大貴プロフィール】

兵庫県出身。1980年生まれ。 兵庫県立小野高校卒、慶應義塾大学環境情報学部卒。

大学時代は体育会野球部に所属し、東京六大学でプレーする。

2003年~フジテレビに入社し、アナウンサーとして勤務。 「EZ!TV」「とくダネ」「すぽると」「HERO’S」、スポーツ中継等を担当。 バンクーバー五輪、リオデジャネイロ五輪現地キャスター。

2018年~独立し、スポーツアンカー、フリーアナウンサーとして活動中。 番組MC、スポーツ実況、執筆連載などメディア出演の他にスポーツチーム・団体・企業とのビジネスコーディネーション、メディア制作、CSR活動イベントの企画・運営も積極的に取り組む。

 

 

幼少期~始めたきっかけは偶然だったフェンシング

三宅選手、よろしくお願いします。今年1年ですけども、ここまでどういうふうに過ごしていらっしゃいました?

 

そうですね、やはり今年はオリンピックの延期というところから始まって、アスリートにとってはかなり苦しい時期となりました。メディアでも、僕はウーバーイーツを始めたりしたりして注目して頂いたこともありましたが、ようやく6月に入ってぐらいから段階的に練習に戻れるようになってきました。今はチームとして来年に向けて士気を高めているというところですね。

 

じゃあ、このフェンシングウェアを着られない時期もあったわけですね。

 

そうですね。それこそ6月終わりぐらいに久しぶりに人と対戦をして、目の前に相手がいてフェンシングができたのは4カ月ぶりぐらいだったので、その時は本当に楽しかったですね。

 

 

三宅選手は子ども時代のことに特化してインタビューされるってことは今までありました?

 

なかなかこれまで子ども時代を語ることがなかったですね。オリンピックの話やこれからの事は話せるんですけれど、子ども時代はどうでしたか?って言われると、何を言えばいいんだろうって、ちょっとドキドキしています(笑)

 

フェンシングに最初に出会ったのは何歳の時ですか?

 

僕がフェンシングに出会ったのは5歳の時です。初めは水泳をやっていたんですけれども、今も僕まだ泳げないんですよ。

子どもの頃にお母さんにタイタニックの映画で船が沈むところを見せられて、「あんた泳げないとこうなっちゃうのよ」っていうところから半ば脅されるような感じで。

それでスイミングを始めるんです。やっぱりそれでもクロールは何とか出来てもどうしても背泳ぎが出来なくて。もう嫌だなと思ってた時、そこはカルチャースクールだったんですよ。いろんなスポーツの写真がある中で、親に辞めたいと言えなかった僕は違う競技に移っちゃおうとその時に思って、その写真を見てパッとこれにしようと思ったのがフェンシングだったんですよ。

 

えっ、じゃあもう競技の写真が並んでる中で急遽選んだというか、これならできるかもしれないと。

 

これって決めたのがフェンシングでした。フェンシングって親御さんがやっていて二世フェンサー(フェンシング競技者)が多くて、自分で始めるというのはなかなかレアなケースだったんですね、当時は。

 

ですよね。そこからスタートしてここまでずっとフェンシングをやってこれた、フェンシングの面白い部分とか楽しみってどんなところですか?

 

そうですね、フェンシングっていうのは決まった型っていうものがないんですよね。決まった型がなくて10人いたら10通りのフェンシングというか、戦略であったり形があるので、そういった個性を出していくスポーツであるところが面白いと思います。

 

三宅選手は個性は強い方ですか?

 

そうですね。比較的…良くも悪くも目立っていたかなと思います。

 

他の選手も他競技の選手に比べて個性が結構ありますか?

 

そうですね。割とみんな個性がありますし、フェンシングは個性を出して行く事が強くなることに他の競技よりも直結しているのかなと思います。

 

5歳からスタートして、これは長く競技として続けていけるかもしれないと手応えを掴んだのはいつですか?

 

僕の中ではフェンシングって習い事として週2回、ほぼ鬼ごっこしに行ってるような感じだったんです。もう全然真面目にやってなくて。でも小学校4年生の時に全国大会というのがあってそれに出場したんです。

その全国大会で誰も僕が勝つと思ってなかったんですけれども、強豪と言われていた淡路君ていう子と当たった時に、僕がみんながやってない珍しい技をしてみたら。

 

優勝候補筆頭だったわけですね、淡路君が。

 

そうそう。優勝候補筆頭の淡路君にみんなが全然やってないような技をやっちゃえって感じで試したらそれがハマって、そこからずっと勝ち進んで2位になったんですよ。

そこからもう僕は淡路君に実は相当ライバル視されまして。そのままずっと行って結局ロンドンオリンピックで同じチームになるんですけれども。

 

あの淡路選手?

 

そうです。あの淡路君です。あの淡路君との関係がずっと続いていって今もあるので、やっぱりあの時の試合っていうのは僕にとっても淡路君にとってもターニングポイントだったのかなと思います。

 

奇襲作戦が成功したことによってフェンシングを続けていこうと。

 

そうですね。それまで僕はずっと習い事の感覚だったんですけど、こうなると周囲や両親の期待とかもかなり上がってきて、やっぱり自分の事を応援するのにも自信を持ってもらえているっていうか、そういうところで期待に応えたいなと子ども心に思ってずっと続けてこられたのかなと思っています。

 

なるほど。フェンシングって、例えば野球、サッカーみたいに身の回りでやっている子は少ないと思うんですがどうでしたか?

 

そうですね。今でこそようやく見たことあるっていう方は多いんですけれども、昔だと全身タイツ、いまだにちょっとこの白いユニフォームは見慣れないと思います(笑)でも実はフェンシング場って都内だけでも50カ所ぐらいあるんですよ。

 

そんなにあるんですか!

 

そうなんですよ。そういったところを探して見てみると意外と狭き門ではないのかなと思っています。

 

 

フェンシングでは太田雄貴選手が出てきて国内での競技の知名度が上がり、それに追随する形で三宅選手も含めて多くの選手が出てきました。やはりオリンピックでメダルを獲ったことによって、フェンシングに対しての温度感は変わりましたか?

 

そうですね。外側からの期待というのはもちろん高まっているんですけれども、内側の若い選手たち、もちろん僕も含めてなんですけれども、昔はオリンピックでメダルを獲るっていうのは夢のまた夢でした。

しかし実際に太田、今は会長ですね、太田会長がメダルを獲ることで僕たちもできるかもしれない。やってみようとなって僕たちがメダルを獲れた。そしてもっと若手の子たちがどんどんそれに続こうとしているという、下からの突き上げがかなり強くなってきているので、競技としてもかなりプラスになっているなと思っています。

 

そうですか。やっぱりジュニアの世代の子たちと触れ合ったりする時には、オリンピックでメダル獲りたいという声は多いですか?

 

そうですね。獲りたいっていうのが夢じゃなくて、獲ることを1つの自分のミッションとしている。そういう子たちがすごく増えてきたなと思っています。

 

 

小中高時代について

 

小学校時代、中学校時代、高校時代は何部だったんですか、フェンシング部だったんですか?

 

僕は小学校の時は吹奏楽部でした。

 

小学校は吹奏楽!?吹奏楽部出身でオリンピックメダリストっていないんじゃないですか?楽器は何ですか?

 

僕はテナーサックスをやっていました。どちらかと言うとスポーツ嫌いだったので。

 

抜群に学校では運動神経が良かったっていうタイプじゃない?

 

全く良くないです。ようやく今になって女の子投げじゃなくなったみたいな。ちゃんとボール投げられるようになったの最近なんですよ(笑)

中学校の時は生徒会長をやっていて、部活は帰宅部でした。フェンシングの練習に行くまでにちょっと生徒会の仕事をしたりとか、そういう生活でしたね。

 

小学校吹奏楽部、中学校帰宅部で、オリンピックメダリストってまずいないです、唯一無二ですねこれは!

 

両親とタッグを組んで競技研究

 

お父さんお母さんがフェンシングをやっていた、いわゆる二世、ジュニアではないというお話でしたけども、どのようにフェンシングを上手くなろうと思研究していたんですか?

 

そうですね。やはり先程話に出た通り、フェンシングの全国大会で準優勝してから父親がすごく一生懸命になってくれて。今だとそれこそYouTubeでいろんな映像が見られますけど、そんなものは当時なかったので海外のVHSを知ってる先生に頼んで取り寄せたりして。イタリアとかアメリカとかフランスの教材をずっと本当に擦り切れるぐらいまで父は見ていて、自分の中でのメソッド的なものを我流で作ったんですね。

 

お父さんが?

 

はい。父は剣道をやっていて、型に対してすごく厳しい人なんですね。なので、フェンシングに型を作ろうというところからスタートして。

フェンシングはある程度の構え方はあるんだけれども、そういうものじゃなくて「日本舞踊を意識しろと」言われて、頭の先から足の先まで意識を集中して。

だから、対人競技なのに型をやっていたんですよ。だけど、無駄がないということは速さにもつながるし、怪我をしない。そういったところで今は基礎を作るんだって言って。父はフェンシングを僕とやって勝ったことないわけですよ。父よりも僕のほうが経験は長いわけですから。にも関わらずそういったメソッドを作り上げて、これをやりなさいと。ずっとそれを聞いてやってきました。

 

お母さんはどうでした?三宅選手にはどういう風な接し方をされてました?

 

母はどちらかと言うと、フェンシングのことはよく分からないというスタンスでした。父は結構仕事で忙しかったので、あまり僕の練習を見れなかったんですよ。その代わりに母が常に僕の練習を送り迎えしてくれて、ずっとビデオカメラで映像を撮っていました。

で、父が帰ってきてから僕の練習を映像を見て、構えを直してとか色々と反省したり。だから、戦術とかじゃなくて、もうずっと型だけを直すっていうのを、それを家族みんなでやってました。

 

じゃあもう分業制みたいにお父さんとお母さんと、家族みんなで。

 

みんなでやってました。だから、僕は本当に”チーム三宅”って呼んでるんですけれども、もう、ずっとオリンピックまで母が映像を撮り、父が解析し、それで直していく。それをずっと繰り返していったのは、もう本当にチーム三宅だからこそできたんじゃないのかなと思っていますね。

 

 

食生活について

栄養面について、子どもの頃に体を大きくしたりとか強くなりたいっていう時食べ物で意識していたことはありますか?

 

子どもの頃はなかったですね。もう僕ずっとちっちゃい時はお菓子しか食べてなかったんですよ。

高校に入って、ナショナルチーム、日本代表になる、ならないっていう時に初めて栄養士さんと出会ったんですけど。その時に僕がハリボーっていうグミがあるんですけど、僕は一日グミしか食べていなくて。あれをずっと食べてたら、もうご飯食べないってことに栄養士さんが気付いて、これは食べちゃ駄目って言われて。僕、ハリボー大好物なんですけど現役中は食べていないです(笑)

それぐらい偏食だったので、だいぶ意識するようになったのは大人になってからですね。もちろん母はずっとご飯を作ってくれていたので、そんなに偏り過ぎてることはなかったと思うんですけど、やっぱりちょっとお菓子は多めに食べていたと思いますね。

 

フェンシングは動体視力も必要ですし、瞬発力や持久力も重要だと思いますが、食事で必要なものは摂らなければいけないと、今は意識していらっしゃいますか?

 

そうですね。フェンシングというのは階級制、体重による制限がないので、しっかりと炭水化物、糖質をしっかり摂るということで、次の練習に対して備えるっていうのはすごく大事な事なんです。

そこでしっかりとダイエットをするにしても、やはり炭水化物を減らし過ぎるというのはアスリートにとって怪我のリスクも上がるという面もあります。

あとはタンパク質を摂れば筋肉を付けられるだけではなく、実は最初に筋肉をつける時に炭水化物のエネルギーをちょっと使ってからタンパク質を筋肉に変えていくという作業があるんですよ。なので炭水化物はある程度摂っておかないと自分の体のためにならない。僕も栄養士さんにめちゃくちゃ怒られていましたから、そこはやはり子どものうちから意識しておくとアスリートを続けていくにあたってはスムーズにいけるんじゃないかなと思いますね。

 

フェンシングの選手は体を大きくしたいんですか?身長を伸ばして体を大きくしたいとか強くしたいとか、どういうイメージですか?

 

フェンシングってどうしても選手個人のキャラクターがすごく大事なので、自分がパワーがあるっていうんだったらやっぱりパワーを伸ばす。だけど、重過ぎるとスピードが遅くなっちゃう。なので、シーズンによってはちょっと落としてみようとか、逆に筋肉をつけてみようとか、自分の体を結構カスタマイズしたりとかするんですよ。

他の競技でもそうだとは思うんですけど、一概に痩せたからすごいとか大きくしたからすごいというよりも、自分のプレースタイルをちゃんと自分で理解してその体に合わせていくっていうことがアスリートにはすごく必要なんじゃないのかなと思っています。

 

進学に関してですけども、小学校、中学校はフェンシング部ではなかったということですが、高校はフェンシング部の強い学校に行こうと思われたんですか?

 

いえ、僕は慶應義塾高校に行ったんですけれども、高校からオファーをしていただいたからっていうだけなんです。

他の学校からもお誘いが来ていた時に、もう勉強もしなくて大丈夫ですと、もう先生が何だったら遠征費を出してくれるっていうようなところまであったんですよ。すごくありがたいお話だったんですけども、やはり勉強しなくていいよって言われたところがすごく引っ掛かってしまって。

僕、別に勉強が好きなわけじゃないんですよ。だけど、例えば遠征に行った時にもイミグレーションの時に学生って職業欄に書くじゃないですか。そこでやることはやらないといけないなっていう感覚があって。慶應に関しては、うちは勉強しなきゃいけないよっていうのは絶対に言われていたので、じゃあそこに行ってみようという意識で、あまりフェンシングを主としていなかったですね。

 

それはどうしてですか?フェンシングという競技が独特だからですか?個人競技だからですか?

 

まず、そもそも僕はどこにいても強かったんですよ。強いんでどこの高校に行ってもよかったんだけど、やっぱり自分がボーッと生きるのがすごい嫌だったし、スポーツだけをずっとしていてもいつかは頭打ちになっちゃうと思うんですよね。

それ以外のこと、例えば友達であったりとか、自分よりも何か優れている人っていうのはやっぱり自分にとってプラスになると思っていたので、自分の中でずっと鍛え続けている人たちがいる学校っていうのがすごく楽しそうに思えたし、すごく魅力的だったので選びましたね。

 

なるほど。これはちょっとかなり参考になりそうな、保護者の皆様も参考になるアドバイスかなと思いました。

 

<インタビュー後編へ続く>

 

 

 

 

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