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2021.03.05

【バスケットボール】田渡凌選手(Bリーグ・広島ドラゴンフライズ所属)インタビュー【前編】

【バスケットボール】田渡凌選手(Bリーグ・広島ドラゴンフライズ所属)インタビュー【前編】

バスケットボール一家に生まれて、学びも遊びも、その全てがバスケットボールだった幼少期。

若くして注目を浴びる中、彼はさらなる高みを目指し、本場アメリカへと渡りました。

常に成長できる場所へ。そうやって前進を続けてきた、彼のジュニア時代に迫っていきたいと思います。

 
【田渡凌選手プロフィール】

1993年生まれ。180cm、80kg。東京都出身。ポジションはポイントガード。

3歳からバスケを始め、京北高等学校(現:東洋大学京北高等学校)卒業後に渡米。

オローニ・カレッジ、ドミニカン大学カリフォルニア校を経て2017年に横浜ビー・コルセアーズに入団。

3季在籍し、通算159試合に出場。2020年6月に広島ドラゴンフライズ移籍した。キャプテンとして臨んだ今シーズンは41試合の出場で285得点(平均7.0得点)178アシスト(同4.3アシスト)を記録。

今シーズンの最優秀インプレッシブ選手賞(MIP)に選ばれた。

 

【アスリートナビゲーター・田中大貴プロフィール】

兵庫県出身。1980年生まれ。 兵庫県立小野高校卒、慶應義塾大学環境情報学部卒。

大学時代は体育会野球部に所属し、東京六大学でプレーする。

2003年~フジテレビに入社し、アナウンサーとして勤務。 「EZ!TV」「とくダネ」「すぽると」「HERO’S」、スポーツ中継等を担当。 バンクーバー五輪、リオデジャネイロ五輪現地キャスター。

2018年~独立し、スポーツアンカー、フリーアナウンサーとして活動中。 番組MC、スポーツ実況、執筆連載などメディア出演の他にスポーツチーム・団体・企業とのビジネスコーディネーション、メディア制作、CSR活動イベントの企画・運営も積極的に取り組む。

 

 

幼少期~バスケを始めたのは3歳から

田渡選手、よろしくお願いします。本日は小中高時代のことを思い出してお話頂ければと思います。バスケットボールを始められたのは何歳くらいの時ですか?

 

僕がバスケットボールを始めたのは3歳くらいの時なんですよ。大会とかは年長で出てました。5,6歳の時ですね。その当時の年齢でバスケットボールのクラスというのはなかったんですけど、年上の人たちがやってるクラスにおまけみたいな感じで登録させてもらっていました。

 

3歳の時からバスケを始めた理由を教えていただけますか?

 

僕のお父さんがバスケのコーチをやっていて、お母さんも元々バスケ経験者でした。僕には二人お兄ちゃんがいるんですけど、二人ともミニバスをやっていてお母さんがそれに同伴しているのに、僕を一人にしてはおけないということで一緒にミニバスをやっているところに連れて行かれていたんです。

最初は一人で遊んでいたんですけど、そのうちに「お前もやれ」という風になって。一緒に練習に混ざっていったのが始まりです。

お父様とお母様はいつまでバスケットボールをやられていたんですか?

 

お母さんは高校までで、お父さんは高校のインターハイで優勝してるんです。大学を経て、僕の母校でバスケの指導をしていました。

 

お父さんの姿を見てバスケットボールをやろう、続けようという気持ちはありましたか?

 

そうですね、お父さんは指導者だったので実際にプレーを見たことはないんですけど、休日にお父さんが指導をしている京北高校の試合を観に行ったりしているうちに、こういう風になりたいなと憧れを持ったことはありますね。

 

お兄さんは何歳離れていますか?

 

4つと6つです。結構上なのと、身長差がかなりあったのでいじめられてたんですけど、負けず嫌いだったのでどんな卑怯な手を使っても勝とうとケンカしているのが日常茶飯事でした。

 

家ではどんな練習をされていたんですか?

 

うちにはお父さんが外にバスケットゴールを付けていてくれたので、暇さえあればそれで遊んでいました。それとお父さんの部屋には資料としてバスケットボールの試合映像がたくさんあったのでそれを見てずっと真似をしたりしていました。

 

では他の選手の幼少期に比べるといろんな映像を見ていた方なんですね。

 

もう遊ぶよりもそういう事をしていた方の記憶が強いです。ゲームをするよりもバスケの試合を見て、それを真似したりしていたことの方が多かったです。ガッツポーズの真似をしていたり、気持ち悪いくらいやっていましたね。研究というよりは「なんだこれかっこいい!」って思いながらずっと真似をしていました。

 

誰の映像をよく見たなっていうのはありますか?

 

やっぱり京北高校の先輩たちの試合をよく見ていました。特に誰を見ていたというわけでもないし、プロになった人もいないんですけど、当時だと東京のトップレベル、全国レベルの選手たちがいっぱい出ていたのでそれをよく真似していたのは覚えています。

 

小学校に入る以前からインターハイレベルの選手たちのプレーをテレビにかじりついて見ていたんですね。

 

僕バスケのビデオ見てると眠くなってくるんですよ。それで寝落ちするっていうことは多かったです。一日中見てるわけではないですけど、暇さえあれば見ていましたね。

 

お父さんに小さい頃、バスケットをやることにおいて言われた言葉ってあったりしますか?

 

中学校からお父さんに教わり始めたんですけど、特に厳しくああしろこうしろと言われたことはないです。逆にお母さんはすごく厳しかったですね。礼儀とか先生に対して態度がなってないとか…とにかく厳しかったしお父さんの方がお母さんより怖かったです。

 

 

食生活について

 

食生活はどんな感じでしたか?量は結構食べました?

 

いっぱい食べてましたね。今なら何をどれだけ食べればいいとかわかりますけど、とにかく当時は量を食べていました。

小学校の時は1日3食しっかり食べて、夜ご飯とかは2合くらい食べていました。

 

バスケの選手もやっぱり食べないとダメですか。

 

僕は自分でも食べてる方だなという意識はありました。身体も大きかったし強かったし運動神経もよかったけど、食べないと力がつかないという話はよく言われていたけど、一理あるなと思いました。

 

中学校で良成績を収めていますが、あれだけのことができたのはよく食べていたからだというのはありますか?

 

練習量がとにかく多くてきつかったので、食べないと身体がもたないというのは小さいなりに理解していたんだと思います。食べないとすぐ痩せちゃうので、それはすごく意識していました。揚げ物やラーメンなんかは身体に悪いんだろうなっていうのは思っていたので、そういうものは取らなかったり、甘い炭酸飲料は飲まなかったりしていましたね。

 

体格について

小学校や中学校を卒業した時の身長って覚えていますか?

 

覚えています。小学校を卒業する時は162cmくらい、高校に上がる時は175cmくらいだったと思います。

 

中学校で優秀選手を取った時は体格も結構ありましたか?

 

そんな特别大きかったわけではないと思います。脚力は自分の方があったのと、負けん気はとにかく強かったのが大きいかなと思います。

 

<インタビュー後編へ続く>

 

 

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